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枢密院 (タイ) : ミニ英和和英辞書
枢密院 (タイ)[すうみついん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

枢密 : [すうみつ]
 (n) state secrets
枢密院 : [すうみついん]
 (n) (Japanese) Privy Council (abolished in 1947)
: [みつ]
 (n) mystery

枢密院 (タイ) : ウィキペディア日本語版
枢密院 (タイ)[すうみついん]

枢密院(すうみついん、, ''sapha ongkhamontri thai'')はタイの国王に対する任命された諮問機関である。枢密院はタイ王国憲法
が規定するように18人を超えない顧問官で構成されている。枢密院は枢密院議長の下で運営され、現在は元首相で「国民の政治家」で陸軍将軍プレーム・ティンスーラーノンが議長を務めている〔p://kanchanapisek.or.th/ohmpc/General-Prem-Tinsulanonda.en.php〕。国王のみが顧問官全員を任命する。
憲法に基づき枢密院は多くの権限と責任(タイ国王とチャクリー王朝に関する全て)を与えられている。枢密院の事務所は、タイ王国バンコクプラナコーン区サナームチャイ通りの枢密院会館にある〔http://kanchanapisek.or.th/ohmpc/pc-house.en.php〕。
近年枢密院と議長は、特に政治に干渉していると非難されている。この非難は特に2006年のタイ軍事クーデター軍部に対して枢密院が閉会したことに由来している〔http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/5367936.stm〕。
==歴史==

シャムの最初の枢密院は、ラーマ5世により1874年5月8日の勅令により創設された。西洋人に教育を受けた国王は、ヨーロッパの絶対王政を模倣することに熱中した。始めに2つの評議員会を創設した。一つは「シャム枢密院」(、''thi prueksa nai phra ong''、48人で構成)、もう一つは「国家評議会」(、''sapha thi prueksa ratchakan phaendin''、12人で構成、後に「閣僚評議会」(、''ratthamontrisapha'')と名称を変更する)である。後者が内閣の初期の形になったとはいえ、枢密院は法務を処理する為に創設された。
ラーマ5世は1910年に治世の初めに「国家枢密院」(、''sapha kammakan ongkhamontri'')顧問官40名を任命した息子のラーマ6世に王位を譲った。治世の15年間に国王はソンクラーン(4月4日)頃に新たな顧問官を任命し続けることになる。1925年に死去した時には枢密顧問官は233名を数えた。
1925年に兄弟から王位を継承したラーマ7世は、当時の体制を完全に解体することを決め、代わりに3つの評議会を創設した。一つはシャム国最高評議会(、''aphiratthamontrisapha''、以前の国家評議会と動議で上級王子5人で構成した)、二つ目は「大臣評議会」(、''senabodisapha''、元の閣僚評議会)、三つ目は国家枢密院であった。最高評議会がラーマ7世の主な諮問機関になったとはいえ、枢密院の役割は、余り重要でない法務を扱う機関に格下げされた〔http://kanchanapisek.or.th/ohmpc/history.en.php〕。
1932年6月24日、人民党を名乗る集団が、軍とともにバンコクで権力を掌握した。参加者は一方的に議会制立憲君主制にシャムを変えシャム人民の為の憲法を国王に要求して絶対王政を廃止した。国王は同月「仮の」憲法を承認し、12月に恒久的なものと認めた。人民党は一度は権力の座にあって最高評議会と枢密院の廃止を決定した。大臣評議会をシャム人民委員会とともに置き換えた。
1947年シャム憲法が「国家最高評議会」と名称を変更してラーマ9世の下で枢密院を再編するまでの15年しか改革はもたなかった。この評議会は1947年から1949年まで存続し、顧問官は次の5名であった。
* Rangsit Prayurasakdi王子、チャイナット王子、評議会議長
* Dhanivat Bidyalabh Bridhyakon王子
* Longkorn Adireksorn Udomsakdi王子
* Phraya Manovaratsevi
* Adul Adulyadejchrat
2年後1949年タイ王国憲法の下で評議会は「タイ王国枢密院」(、''khana ongkhamontri'')と改称した。現在の枢密院は、2007年憲法により創設された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「枢密院 (タイ)」の詳細全文を読む




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